ミミ2世

かつて、ミミ2世という猫と一緒に暮らしていました。

ミミ2世という名前を付けたのは、10歳の頃初めて保護したソトネコがミミという名のメス猫だったのですが、その猫の容姿(写真が一枚も無いのが悔やまれます)の記憶を辿ると、ミミ1世は四つ足に白いブーツを履いたような模様のキジで、気品高い猫だった・・・そのミミに白い部分が似ていたので、実家を離れて初めて飼育する猫と言う事で最初に出会った猫と同じ名前を付ける・・・ルイ13世とか○○世というのを名前に付けている風習にならってみた感じでした。

ミミ1世の事はそのうちここに書いてみたいと思います。

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その後も血縁関係など関係なく、ミミ3世へとその名前は受け継がれ、ミミ3世は今年の8/21で11歳になります。




1994年6月14日、マンションの駐車場で見かけたのが始まりでした。

5月頃から駐車場にコンビニの弁当や総菜の空パックが散乱している事が目立つようになってきて、当時はカラスの残飯あさりに対してゴミなどにネットをかけていない時代だったので、カラスがゴミ袋を破ってゴミを散乱させてしまっていると思っていました。しかし、どうもゴミの散乱の仕方が駐車場に駐まっている車の陰に多く、なぜカラスがわざわざそんな場所で・・・と思っている頃にミミ2世と出会ったわけです。

おそらく引っ越しか何かで猫の飼育か連れて行くのが問題になったのか?他の事情なのか?、明らかにちょっと前まで飼い猫だった毛並みと仕草を見ると、そういう捨て猫が可能な飼い主が居る事には疑問を持ったのもこの頃からでした。

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どうやらミミがお腹を空かせてゴミあさりをして、その中の残飯から食料を得ていた・・・というのが濃厚な状態でした。それで猫缶を毎朝あげるようにしたらゴミの散乱がピタッと止まったので、それ以降限りなく昼に近い午前中の出かける頃にご飯とミルクを(この当時は草食動物の牛乳が猫にとってはあまり良くない事を知りませんでした)出してあげて、深夜帰宅した時には部屋に戻ってから駐車場までご飯を持ってきて与えていました。

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当時住んでいたマンションは動物飼育不可物件だったので、朝と深夜に駐車場で接するだけしか出来ませんでしたが、同じマンションの1階駐車場側に住む方もご飯と、ベランダに寝床を作ってあげてたので、ミミにとっては広いエリアを巡らなくても駐車場で寝起きと食事が出来ていたので、案外居心地は悪くなかったようでした。

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深夜帰宅して駐車場に入って行くとミミは寝床から現れて来て、車を駐めエンジンを切ると車に近づいてきて、運転席側ドアの下で待っているようになりました。その際、部屋までご飯を取りに行くとマンションの入口までくっついてきてしまい可哀相な思いをさせていたので、ある頃から深夜帰宅時用のドライ・フードを車に積んで出かけ、駐車場に着いたら部屋に戻らずにご飯をあげられるようにしていました。

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ミミはそのような私や他の方との外での関係にも順応し、1つの風景になるほど自然な状態が続いていましたが、1995年11月頃からミミの様子がどことなく弱々しい・・・ある朝には、いつもならエンジンをかけるとすぐにマンション1階のベランダから出てきて甘えていたのに姿が全然見えず、おかしいなと思って隣の建物との塀の間を見ると、そこでうつぶせになって寝ている事がありました。その時は単に眠かったんだろう・・・と思い見過ごしてしまっていましたが、12月に入り夜も何度か姿が見えない事が続き気になってきている頃、マンション横の駐車場への通り道に大きな段ボール箱に厚手の毛布が入れられていて、ミミの姿が見あたらない日がありました。

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1995年12月9日、この日はとても寒くなっていた日で、深夜帰宅した際にミミの姿がなかなか見られず、いくら周辺を探しても見つけられなかったので一端部屋に入り、荷物を降ろして再度駐車場でミミが出てくるまで待ちつつ探していたら、ヨレヨレになって歩くのも困難になっていたミミがどこからともなく現れて来て・・・そこで、もうこれ以上は見過ごせない・・・という判断で、動物飼育不可という条件を破りミミを部屋に上げて、暖かい寝床で看病する決意に動いたわけです。

そうして1年半ほど駐車場だけで接する関係を終え、その後死去するまでの1年半にわたり完全家猫として暮らしていました。

保護した直後はミミの体調がとっても悪かったので、動物病院へも何度か通院し、抗生物質やその他、その時点でしてあげられる事を・・・その内体調も戻り、静かでノビノビとした生活を過ごしてもらう事が出来ました。

ある時期、仕事で数日家を空けなければならないときがあって、通院していた動物病院が数フロアーのペット・ホテルも併設していたのでミミを預けた事がありました。その際、水を飲む量が多くてオシッコの回数も多いので調べてくれたそうで、血液検査の結果「慢性腎不全」という私にとって意識した事もない病名を告げられ、唖然とした事を覚えています。どうやったらその病気を克服できるのか・・・書物やネットで調べて行くうちに、腎臓移植というあり得ないような方法しか解決策がないほど、慢性腎不全に至ってしまうと穏やかに暮らさせ、出来るだけ延命させる事だけが・・・対応した処方食が病院では購入できたので、その日から処方食だけを与える日々になりました。

マンションの管理人さんには動物不可の条件を破る事になっているけれど、猫の病名を告げ、さほど長くない生涯を面倒見てあげたい旨伝え、ミミとの闘病生活が始まりました。

1997年の5月頃まで、ミミは殆ど普通の猫と変わらない生活を送って急激な悪化もせず・・・5月終わり頃から自然にやせ細って行き、だんだんとご飯を食べなくなってきて、何度か通院して長時間かけての血管点滴・・・そのうちミミのストレスを考慮して、効き目は少ないけど皮下点滴に切り替えてもらい、なんとか調子よくなるようにしていました。

6月中旬になると脱水症状も目立つようになってきて、動く事も辛そうな状態になり口の中も荒れてきて・・・6/21(土)の深夜、とうとう動く事もままならない状況になって来つつも、いつものようにベッドに運んでいって隣へ寝させてあげたら、暖かさで安心したのかベッドの中で失禁してしまい、とても深刻な状態だと悟り深夜2時頃にもかかわらず通院していた病院へ電話し、すぐに急患扱いで診察してもらう事に。

診察の結果かなり深刻な状態にまで達しているという事だったので、そのまま連れ帰らず入院させ・・・酸素供給されている、透明な集中治療室で見かけるやつの猫版とも言う感じのケースに入れてもらい、病院で可能な限りの対処を行ってもらう事になりました。

翌日の6/22(日)、様子を見に病院の方へ行った時点では、だいぶ楽になってきているようでしたが、腎不全から来る尿毒症が始まっているからご飯も食べられず、どんどん体力が落ちてきていた・・・というここ最近の状況もつかめ、とにかく血管点滴を続けてヒーターで体温低下を防ぎ、安定させる事しか出来ない・・・という事でした。

6/23(月)、病院から緊急電話が入り「尿毒が脳にまで達してきて痙攣が始まっているのですぐ来て下さい」という連絡を受け、ミミの状態が気になり午前中は自宅待機していた私はすぐに病院へ駆けつけ、手術室の台の上で横たわって酸素ボンベの吸入口を当てられているミミの所へ案内され・・・その時点では発作が止まっていたけれど、少し経つと痙攣が始まり、今度は私が酸素吸入口をミミの口へ当ててあげ、心の中からミミの安息を求めていました。

その後落ち着いてきたので、私は病院から直接仕事場へと向かい、その日は夕方には帰宅できる状態だったので帰りに病院へ立ち寄ると、ミミは発作が落ち着いたので1階の元居た治療ケースの中で横たわっていました。私がケースを覗くと、立ち上がる気力も体力も無いはずなのに立ち上がろうとしているミミを見て、傍にいた病院の方も驚いていました。ミミはよっぽど一緒に家に帰りたかったんだと・・・今ならすぐにそう思えた事でした。

翌日6/24(火)病院が開く時間に合わせてミミの様子を見に行き、開院時に中から出てきた方が「残念ながらつい先ほどだったようで・・・」「昨夜2時頃の見回りでは大丈夫だったんですが・・・」・・・動物との死別に遭遇した経験が無かっただけに、ミミの最期を自分の手の中で安心させて・・・という考えより、しっかりした病院で集中治療を受けさせて苦しまないようにさせたかっただけ・・・ということが、その後の後悔の念として残ってしまいましたが、ミミ2世が自分との出会いで伝えてくれた、動物との接し方を私もこの日から今まで学んでいる状態です。

1997年6月24日(火曜日)ミミは府中にある「慈恵院」で立会火葬をしてもらい、骨壺に収まったミミを連れて帰りました。約1週間後に位牌を受け取りに行き、それから2年ほど自宅で、リビングのどこからでも目に入る場所で一緒に過ごしていましたが、2年後の8月には実家の庭に埋葬されている高校時代に保護して育てていた黒猫君の隣へ埋葬してあげる事になり、今は実家の仲間と一緒に遊んでいると思います。

ミミ2世がどこからか見ていて、今は5匹に戻ったけど、ついこの間まで8匹の猫が居た事をみて、どんな風に思っているかと思います。OUR HOUSEに居る猫達には、ミミ2世の時に知識不足でしてあげられなかった事や、その他にもしてあげたかった事をミミ2世の分まで・・・という単純な事を続けているだけですが、ミミ2世と接した事で学んだ数多くの知識は、この先も決して無駄になる事はない・・・ミミ2世への感謝の気持ちです。
by F365GT4BB | 2009-06-24 00:10 | ミミ2世 | Comments(0)

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